こんにちは。所沢はこの数日天気が悪いのですが、そんな中でも桜が満開になっています。昨日は夜道の街灯に雨と一緒に照らされた桜をみて「春雨じゃ濡れて帰ろう」と叫んで家族に呆れられました。いいじゃん誰もいない公園なんだからさー。
さて長崎佐世保の旅タクシーで針尾送信所を出発したところから再開です。
ここから観光コースではもう一か所廻ることになっていました。それが浦頭(うらがしら)引揚記念資料館。佐世保市HPにのみ掲載されている小さな資料館です。
ハウステンボスから距離にして7kmほどのこちら「浦頭引揚記念平和公園」の中にあります。ここは現在浦頭国際ターミナルが設置されている浦頭ふ頭に面しています。写真中央の細長い白い建物が国際ターミナルだそうです。
この浦頭ふ頭は第二次世界大戦終了後、アジア各国に散らばっていた日本の人たちが引き揚げてきた港の一つで、博多に次ぐ規模だったそうです。資料館には引き揚げの人々の資料類を保存公開されていました。
施設は無料で入り口には管理者の男性がいらっしゃいました。入場すると
「ビデオ見るかい?」
と聞かれました。タクシーを待たせているので長いと途中でやめることになるので
「すみませんが時間がないので遠慮いたします。」
「そうだよな。タクシーだもんな。」
テレビにスイッチを入れようとしていたようです。受付には募金箱。
「ここ金なくて建物管理大変なんだよ。よかったら協力してくれるとありがたい。」
困った顔の子供の肩をたたいて私がお札を入れました。
「ありがとうね。」
室内に入る時に子供に説明しました。
「戦争中に海外にいた人たちが船で日本に戻ってきたときの船を引き上げ船というの。あなたの亡くなったおばあちゃんは中国大連から引き揚げてきたのよ。すごく大変だったと聞いていたけど実際の様子を見るのは初めてなの。」
実は年末に主人のお義母さんが亡くなりました。餃子を作る時に「大連で母から餃子習ったのよ」とよくお話されていたのです。これはお義母さんが連れてきたんだとしか思えません。
1945年、戦後日本国民保護のために各地の引揚港には引揚援護局というものが設置されました。佐世保市ではここ浦頭に設置され1950年5月まで活動していました。
引き揚げてきた人は最大1日1万9千人。まず全員検疫所で検査消毒が行われ、その後7km先にある収容所に移動します。この収容所が存在したのが現在ハウステンボスがある場所。私たちがタクシーで移動しようかと考えるくらいの距離、そこを全員歩いて移動したとの説明に頭の中にその様子がありありと想像できてしまいます。
この施設には引き揚げ者自身やその身内からの寄付の品々が並べられています。
その間に引き上げてきた方向けの配布文書が公開されていました。その内容があまりに素晴らしく、かつ戦後の混乱期に関わらず相手への最大限の尊敬の念に溢れていました。
公共機関から離れているため、車かタクシーでしか訪問できない場所ではありますが、もしお時間あれば針尾送信所とあわせて見学頂きたい場所でした。
ここからタクシーでハウステンボス駅まで送っていただき観光タクシーは終了。2時間で満足できる観光コースでした。
ここからは電車で佐世保に移動します。お昼ご飯は佐世保で食べます!