皆様ご無沙汰しておりました。2月の大雪のころにブログを停止してから2か月。
すでに関東は桜満開となりました。この2か月早くて長い日々でした。
先ほど帰省していた子供は、トモダチに見送られ寮へ戻りました。やっと自分も心からがんばれと声をかけることができるようになりましたので、ブログを再開することにいたしました。
とはいえ、まずはけじめをつけるため、停止する理由となった水産高校1年目が終わった子供の話を。まずは数回にわけて記録として残すために書きます。子供がブログ見ているのですが、なるべく細かく書いときます。世の中謹慎当り前じゃない人もいるのですよ。
水産高校に通う子供は二〇一四年1月に学校を停学となりました。
理由は書きませんが、100%本人が悪いです。
このブログで一番読まれている記事「県外の公立高校を受験するということ 2013年度夏版 」http://testedquality.hatenablog.com/entry/2013/08/22/211049 は、県外の公立高校に通う場合の心得をまとめたものです。
そこの④⑤に自分で書きました
④入学した後、急に保護者が学校に行かなければならない場合がある。必ず保護者にその点を理解してもらっておくこと
⑤寮での生活態度が悪い場合には、退寮を余儀なくされることもある。その場合にどうするのかを考えておくこと。あと生活態度が悪いと健康もむしばむので自分で自立した生活をすること。
・・・はい、これがそのまま降りかかってきたわけです。
親と、身元引受人になった私の両親はてんやわんやで、大騒ぎ。
わしゃほんまによういわんわー、という感じで怒涛の日々が急にやってまいりました。
まず呼び出された学校にいくため、その後を考えて会社に1週間休暇を申し出ました。
主人が行くべきでしたがとても休める状態ではないので私が。
私が移動できなかったらじいちゃんが頑張ったでしょうが、それは親として許されません。
この時ほど休みやすい会社でよかったと、心から思いました。
休む理由は「子供がバカなんです」これだけ。
まあ出社後「あれだけひどい顔してたら、取り合えずOK出すしかないですよ」と言われました。
ほんとすみません・・・・
このとき1月、上の子供はセンター直前、申し訳ないですが自分で食事とってもらいました。
下の子は学校がありますが、おやすみをさせて福岡へ連れていきました。
さて、ここで停学→復学までの今回のプロセスを書いときます。
悪いことした場合、処分が下るまで、学校は対象者を他の生徒と接触させないようにします。
他の生徒を動揺させないようにすることもありますが、対象者が誹謗中傷を受けて復帰できなくなることも考慮されています。
今回休日でしたので、会議は先生たちが出てくる平日となり、1日保留となりました。
もし校長先生などが出張や他のイベントで決定会議が開かれない場合もあるそうです。
こうなると処分が出るまでは、生徒と対象者を引き離すため寮にもいることができません。
普通なら親が迎えに来て自宅に戻して自宅謹慎なのですが、家が埼玉ではこれもできず。
大体悪いことしたのが夜だったのでまず電車で福岡にも戻れない(/ω\)
よって担任の先生と話し合いのすえ、子供は特例で官舎の先生の部屋で一晩過ごして
翌日寮を出て処分がでるまで福岡にいることになりました。
そのうえ翌日の移動も、処分がでてない生徒を一人で学校から福岡まで返すわけにもいかず
なんと小倉まで用事がある担任の先生が、車で送ってくださることに。小倉でじいちゃんばあちゃんが引き渡しに出かけてくれました。
その間に私と下の子は埼玉から福岡に飛行機で移動してました。
実家について子供に何か言おうとおもって部屋に入ると、
子供は何かを書いていました「なんねそれ?」
よく見ると拍子に「自宅謹慎用」と書いてある用紙。子供はもくもくと書いております。
じいちゃん曰く「勉強用紙はすべて書いて明日持ってくるように」とのこと。
謹慎中用の勉強用紙は、1日当たり漢字書き取り4000文字+反省文800文字。一日十分真剣にやらないと終わらない量です。実際その日は深夜までやって寝落ち、翌日新幹線で反省文やってましたよ。
これが毎日謹慎が解除されるまで続きました。
明日は7時の新幹線にのって、10時半に学校到着予定(最短時間で3時間半かかる)
私と二人で処分を受ける会議に出席することになってました。
勉強 用紙が準備されていたので「それなりに悪い子がいるんだろうな」と思いつつ明日の会議にわたくしは気が重くなっておりました。
(ながくなったので次回に続きます・・・)