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testedqualityの(県外の水産高校受験)の記録

県外の水産高校受験を記録し始めて、勝手に水産高校と水産業を応援するブログになりました。

やりたいことは自分の全力でやったほうがいいという話

こんにちは。今日はタイトルが結構あやふやな感じですみません。実はこのブログに数回でてきた私の父「じいちゃん」の事で色々ありまして

    やりたいことで出来ることはやったほうがいい というお話

    人の意見もきいてみたほうがいい という話

の2つを書きたいと思います。まずは、①やりたいことで出来ることはやったほうがいいというお話を今日は投稿。

 

このブログを書く前、子供が県外の水産高校を受けようとしていることを、いろんな方に話をしたのですが、そのたび「おじいちゃんとか周りの人は反対しなかった?」と聞かれました。あんまり信用してもらえないのですが、水産高校のために県外受験することについて反対をする人は家族や親戚には全くおりませんでした。自分の両親も、主人の両親も「やらせてあげれば」と言っておしまい。

 

私以外の人には寛容なじいちゃん(´・ω・`) まあ厳しいよりいいけどね。

そんなじいちゃんは、わたくしが大人になってから、帰省するたびに幼少時代の話をするようになりました。そして、それはそれは驚愕の事実の連続でありました。

 

まず幼少時代に両親を亡くしており、ここに書けないような大変な生活を送っていたそうです。だから自分がじいちゃんと思って仏壇を拝んでいた人はひいじいちゃん、曽祖父でした。両親の代わりの祖父祖母が営んでいた商売が途中で破産、引っ越して住んでいたところは今でいう売春宿がたくさんある地域。いわゆる昔の赤線街ってやつ。

「中学から帰るとなあ、かわいいわねぇ寄っていきなさい♡ってお姉さん達にいわれるとよ~」 

・・・じいちゃんは、タモリさんとか麻生さんとかしゃべりの上手い普通の福岡の男と思っていただければ。ともかく、全く勉強どころではない生活だったのですが、色々あって高校への進学ができるようになりました。 時は昭和30年代。当時は中卒で働く人もまだ多くいましたが、高校進学はある程度お金があればできるような時代でした。丁度Always三丁目の夕日にて住み込みで働いていた堀北真希さんですな。実際に私の母は中学で父親を失ったため、中卒で就職しています。一方、進学ができる状況になったのに勉強していないので、いける場所がないじいちゃん。先生から普通科は無理。といわれ工業高校に行くことにしたのですが、当時一番レベルが低かった(とじいちゃんがいう)学校を受験せざるを得ず、かつ合格できたのはその中で一番倍率が低い学科でした。

 

 その後じいちゃんは卒業し、某自動車会社に就職。最初は整備工として働いていたものの「作業着が汚れるのがいや」で営業に移動。どうなのそれ!(/ω\その後はそのまま営業として取締役まで上り詰めました。

ここまでは、普通の出世話ですよね?全くこれは自慢話か!と飲みながら思っていたものです。この20年以上毎回帰省するたび聞かされていましたから。この状態をばあちゃんは「壊れたレコーダー」と評してます。

 ところが今年、どうやら卒業した高校でも出世頭なようで、同窓会に出席して乾杯の音頭をお願いされたぞ、等電話口で聞いていました。で今年の夏休み、個人面談のため福岡に帰省した際、じいちゃんと晩酌しているとその話になりました。すると、

「いやーおれはついに言ってやったぞ!」と満面の笑み。

「なにを?」

「おればこんな学校に来たくなかったー!!って、同窓会の乾杯でいってやったぞ!! こんな学校卒業したけど、ほかの学校行きたかったーって。」

 

・・・ばかじゃなかろうか・・・こんな挨拶されてその同窓会の雰囲気最悪だわ。

呆れる私の前で満面の笑みで笑うじいちゃんに

「なんでそげなことば挨拶でいわんといかんとねー!」と怒らざるを得ませんが、じいちゃんの話は続きます。

「いや、ほんとおればXXX高校にいきたかったとよ。なのにこの学校に入ってしまった。悔しくて仕方ない!」

「じゃあ、学校やめるなりすればよかったやん!働きよったばあちゃんともうつきあいよったろうが!」

「いや、それはできんかった。転向する金も頭もなかったもん」

 だーめーだー orz  この人だめだー。

 

いや冷静になれば、今までの生い立ちからもっと怒ったりしてもいいことはあるはずです。それなのに、一番後悔しているのは希望の高校に入れなかったこと

多分どうしようもないことが多い中で、自分の力でなんとか変えられる可能性があった個所はここだけだったんですね。だから、50年以上も燻っていたらしく、自分に親がいないのより、貧乏より悔しかったことらしい。

この話を聞いたとき「自分が変えられる可能性があるのにでできなかったことへの後悔」ってのは怖いなあと、身震いする思いでしたね。本人は笑っているだけに怖い。これ下手したら包丁もって暴れていたっておかしくない。他人に迷惑かけることは一番嫌う人なので大丈夫でしたけど。

きっと、お金がなくて進学できなかったなら何も恨みはしなかったのでしょう。うらんでいるのは50年前の努力できなかった自分なんです。だから営業になったあと必死に頑張った自分は「おれようやったとよ」というのですから。

 

ということで、ほんと自分で納得できる方法を自分で見つけ出して進路とか、学校とかを決めてほしいもんです。自分で「仕方ない」ことをきちんと消化していないと、あとで自分の気持ちが暴発しますよ。ということで、頑張れることは全力でやってみたほうがいいです。はい。