こんにちは。本日はHPのご紹介をさせてください。
今回の旅行は丁度山口・島根豪雨と重なりました。現在書いている旅行記のため萩市のHPを訪問したところ、義援金および寄付、ボランティアの募集をされています。
詳細は萩市のHPから http://www.city.hagi.lg.jp/
また、別途旅行記でも書きますが萩市中心部は豪雨の影響がなかったため、観光に問題ありません。萩市観光ポータルサイトにも通行止め箇所や観光箇所の様子が記載されております。http://hagi-kankou.com/news/index.cfm#wn159 山口線のSLは中止となりましたがよろしければ萩市へどうぞー。
さて、その4で子供と別れ長門市にタクシー移動後、山陰本線にて東萩駅に移動しました。私の中ではずっと海沿いを走るのかとおもってましたが、思ったより山の中を走ります。「あーれー」ちょっと予想と違います。
山陰本線は長門市を中継点として、下関方面と萩・島根県益田方面の2方向に分かれます。以前旅行記のその1にて電車内の運賃表をお見せしましたが、この表の茶色部分です。(http://testedquality.hatenablog.com/entry/2013/08/01/213009)
長門市を出発後下関方面は30分ほど眺めの良い海が続きます。本当に美しい海です。初めて見たときは「沖縄よりきれいかもしんない」と思いました。午後の光を浴びるとキラキラしていてぼーっと見てしまう。自分のカメラではきれいな写真もってないので線路からは直接みえませんが一番有名な角島の写真はっときます。
山口県:角島 山口県北西に位置する、日本海に浮かぶ島。エメラルドグリーンの海と白い砂浜が美しく、ロケ地としても利用される。 pic.twitter.com/vSRtaeyVv8
— 知らなかった世界の絶景 (@sekai_kirei) 2013, 8月 6
そんな美しさを楽しむために、仙崎(長門市の一つ隣駅)と下関の間は「みすゞ潮彩号」という観光列車が設定されていまして海を楽しみながらゆったり電車の旅を楽しむことができるんです。私の中ではこのイメージだったので、萩向けも40分ほどの間海沿いのつもりだったんです。
ところが、海はほとんど見えないし、走っている間に枝葉にけっこうぶつかる。でも海から遠いわけではないらしく、急に海が見える。
「海と山が近すぎるんだ」路線や道を走らせるには厳しい地形をぬっていることが理解できたのは、急に住宅群が見えてきた玉江駅付近。グレーの瓦屋根の家が並ぶ中、目の前に明治の名残を残した木造駅舎萩駅が現れました。
こちらBingの航空写真でみると、ずっと海岸線を沿いつつ玉江駅直前から市街地に沿って迂回するのがわかります。川に囲まれた三角州のなかに萩の市街地があるのです。そして3方向は標高の高めな山に囲まれています。
Wikipediaの萩市ページ(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%A9%E5%B8%82#.E5.9C.B0.E5.8C.BA)でも「萩城が建設された由来も、交通に不向きな地形を徳川幕府が気に入ったためといわれている。」というのが納得の地形です。実際に一度も敵から攻められたことがないため、中心部が江戸時代の地図と同じ状態という古い町並みが残る理由になったと、タクシーの運転手さんが説明してくれました。
ただし、一方峠を超えないと移動できないため現在でも交通網が長門市に比べると発展が遅かったし、現在でも大雨や雪で道路や鉄道が利用できないことが度々あるのだと、バス停で仲良くなったご婦人が教えてくれました。
「今週やっと上旬に通行止めだった道路が治ったのよ」とご婦人は苦笑いをしてました。「これでバスがやっと時間通りにくるんじゃない?」と微笑まれていたのになあ。
私、いま大河ドラマ「龍馬伝」の再放送を見ているんですが、正直下関と萩って海沿いを走る山陰本線だと3時間以上かかります。高杉晋作が労咳で療養するための家は美祢市桜山だったそうで、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E5%B1%B1_(%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%9C%8C)
ここを長州藩の方も龍馬さんも度々訪れた=皆さん山の中を通って下関と頻繁に往復してたってことですよね。
「正直むりっす!」
というか昔の方の健脚ぶりに驚嘆しながら、長旅でつかれた体を癒すため、夕飯を探しに日暮れまじかの萩中心部にでかけることにしました。